渡名喜村フィールドワークに参加した学生の体験記が渡名喜村役場公式noteにて公開されました(第1弾)
お知らせ |2026年04月21日
渡名喜村フィールドワークに参加した学生の体験記が渡名喜村役場公式noteにて公開されました。
第一弾【自然編】は、法学部4年生児玉さんです。
【渡名喜村役場公式note Vol.24】「当たり前」が、揺さぶられた島
みなさまぜひご覧ください。
<はじめに>
はいさい。
私は岐阜県内の大学に通う児玉です。
将来は公務員として、より良い地域社会を築く仕事に携わりたいと考えています。
今回このプログラムに参加した理由は、離島という環境の中で、人口減少や高齢化といった課題に直面している地域が、どのような工夫や取り組みを行っているのかを自分の目で確かめたいと思ったからです。
その中でも渡名喜島は「何もしないことができる島」とも言われており、自然と共にある暮らしが色濃く残る場所だと知りました。
本記事では、私が実際に渡名喜島を訪れて感じた自然の魅力や心の変化について記していきます。
<渡名喜島で感じた自然の豊かさ>
(訪れる前のイメージ)
渡名喜島を訪れる前、私の中には「海がとても綺麗な島」という印象が強くありました。
一方で、近年問題となっている海洋ごみの影響もあるのではないかという不安も抱いていました。
また、離島という環境から、住民同士の距離が近く、人と人とのつながりが温かい地域なのではないかと想像していました。
さらに、本土と比べて自然が多く残されており、固有種の動植物が豊かに生息しているのではないかという期待もありました。
便利さよりも自然との共生が重視されている場所、そんなイメージを抱きながら島を訪れました。
(訪れて感じたこと)
実際に島へ足を踏み入れると、まず驚いたのはその静けさでした。
車の音よりも鳥のさえずりがよく聞こえ、外に出て太陽の光を浴びているだけで一日が過ごせてしまうほど心地よい空間が広がっていました。
時間の流れがゆっくりと感じられ、「何もしない」という選択が許される場所だと実感しました。

島の道は砂地が多く、水はけが良い構造になっていました。
舗装された道路もありますが、砂地の道はふかふかとしており、砂はさらさらで非常に歩きやすく、自然のぬくもりを足裏から感じることができました。
また、島内にはフクギが多く植えられており、フクギトンネルを歩くと、まるで神社の参道に足を踏み入れたかのような神聖な感覚に包まれました。

(山と海の雄大な自然)
港から海をのぞき込むと、その透明度の高さに息をのみました。
水底がはっきりと見え、魚がどこをどのように泳いでいるのかまで分かるほどでした。
海のない岐阜県で育った私にとって、その青さと澄み切った水は衝撃的であり、写真では決して伝わらない迫力を感じました。
島内で唯一遊泳可能なあがり浜では、美しい砂浜が広がり、まるで自分だけのプライベートビーチのような贅沢な時間を味わうことができました。

また、大本田(ウーンダ)展望台からは島全体を一望でき、遠くには久米島や粟国島、慶良間諸島まで見渡すことができました。心地よい風とウグイスの鳴き声が響き渡り、自然の壮大さを全身で感じました。
さらに、島尻毛散策道では東尋坊を思わせる迫力ある景観が広がっており、かつて島の子どもたちの遠足先であったという話にも納得しました。
人工的な音ではなく、波や風、鳥の声といった自然の音に包まれる時間は、非常に贅沢なものでした。

(夜の別の顔)
夜になると、渡名喜島はまた違った表情を見せてくれました。
空を見上げると、無数の星が広がり、私が普段暮らしている場所とは比べものにならないほどの輝きがありました。
星が近くに感じられ、宇宙との距離が縮まったような感覚さえ覚えました。
フクギ並木は夜になるとライトアップされ、昼間とは異なる幻想的な雰囲気を醸し出していました。
柔らかな光に照らされた並木道は、まるで物語の世界に迷い込んだかのようで、静かな感動が胸に広がりました。

<今回の感想>
今回の訪問を通して、私が住む地域とは全く異なる景色と価値観に触れることができました。
すべてが新鮮で、自分の中の「当たり前」が揺さぶられる体験でした。
事前に写真や情報で知ることも大切ですが、やはり自分の目で見て、肌で感じることの重要性を強く実感しました。
渡名喜島は、非日常を味わえる場所であると同時に、本来の豊かさとは何かを問いかけてくれる場所でもありました。
自然と共に生きるとはどういうことか、公務員として地域に関わる将来を考えるうえでも、多くの学びを得ることができた貴重な経験でした。
